余計なお世話情報
広辞苑によると、
意は、粋でいさみはだの若者、また、その容姿や気風
字は、「鯔背」
語源は、江戸日本橋魚河岸の若者が髪を鯔背銀杏(鯔の背に似た形の髷)に結っいたところから(一説)
ん?こうなると、今度は「鯔」が謎ですねぇ。
で、同様に広辞苑によると、ボラの成長魚としての一段階で、ボラになる一歩手前の呼び名(ハク、オボコ、(イナッコ)、スバシリ、イナ、ボラ、トド)。鯔と書いて、ボラとも読むのだそうな。
しかし、以上の説明じゃあ、鯔背銀杏の形は全く不明ですね。
ついでに、ブリ、スズキなど他の成長魚は、その名称がアガリの呼び名でもありますが、ボラだけはアガリの呼び名が異なるそうです。で、「トドのつまり」という言い方が出てきたとな。
いや、べつにSalaryWoman’sOnlyにしろ、ってんじゃありません、
文法的に正しいのかどうかということでございますが、
問題は、複数形の扱い方です。
トイレの個室で、Lady’sRoomとあるのは、よく見かけますが、この場合は個室ですから、コレデイイノダ。
では、「めん屋そら」の2階の場合は?
σ(^^)は、2階に上がったことはありませんが、まさか席が一つっきりというわけではないでしょう。
となると・・・あ~思い出しますね~中学の英語の時間。
思い起こせば、ん十年前。でも、正しい文法は思い出せませんねぇ。
しかし、あちこち辞書をめくり、サイトを泳いで廻った結果、
Ladyの複数形でLadiesを使うべきである、との結論に達しました。
つまり「Ladies’Only」と書くのが正しい!に違いありません!たぶん・・・
1872年(明治5年) 国有鉄道新橋停車場が開業
1914年(大正3年) 東京駅開業に伴う東海道線移設により新橋停車場廃止
汐留貨物駅となる
1986年(昭和61年)汐留貨物駅廃止
1995年(平成7年) 都施行土地区画整理事業事業計画決定
2002年(平成14年)ワールドカップコリアジャパ・・(゜;)\(--;)ヲイヲイ
じゃなくて、「シオサイト」街びらき
シオサイトは、同じ国鉄跡地でも品川インターシティとは街づくりの考え方が異なり、各企業がバラバラに建物をつくるという手法となっています。
4.ラーメン写真撮影の権利とは?
飲食店で飲食をする場合、飲食物の所有権はどちらにあるか?というのが第1のギモンですね。
これについては、次の2説が成り立ちますね。
1)飲食店での飲食は、飲食物の売買であり、飲食物が客に手渡された時点で即時取得が成り立ち、所有権は客に移転する。なおこの場合、売買契約が成立していればよいのであり、その時点での対価の支払いの有無を問わない。
2)飲食店での飲食は、飲食物を調理しその場で客に食べさせるという行為、即ち役務の提供である。したがって、飲食物が客に手渡されたとしても、所有権が移転するものではない。
「飲食営業臨時規整法」(廃止)第2条における「飲食営業とは、設備を設け、客に飲食物を提供して飲食させる営業」との定義を援用すると、あきらかに役務の提供ではなく飲食物の提供であることから、1)説の方が法的には正しいと思われます。
「食品衛生法」では、同法施行令第35条で「飲食店営業(一般食堂、料理店、すし屋、そば屋、~その他食品を調理し、又は設備を設けて客に飲食させる営業~)」との定義があります。この定義は、どちらの説に立っているのか明瞭ではありませんが、同法第3条で「食品等事業者(食品若しくは添加物を~調理し~若しくは販売すること~又は学校、病院その他の施設において継続的に不特定若しくは多数の者に食品を供与する人若しくは法人~)」との定義があることから、飲食店においては、学校等のような(無料の)供与ではなく、販売がなされているとの見解に立っていると理解できます。
以上から、飲食店での飲食の際には、飲食物の所有権は客側にあるといえるでしょう、たぶん(^^ゞ
となると、所有権を有する飲食物の処分行為は所有者の自由であることは自明の理です。よって、これを煮て食おうが焼いて食おうが(^^)、頭からかけようが、そのこと自体は所有者の自由意志によるわけですな。
ところが、その飲食物を取得した時点で、丼に盛られた姿として写真に撮影し、なおかつインターネット上で公衆への公開、閲覧に供することは出来るのか?というのが第2のギモンでしょう。
これについては、無体財産権である「著作権」(著作権法)、「肖像権」(判例)についての検証が必要です。
・名称等の商標はともかくとして、飲食物やそのレシピは著作物ではない。
・創作性の強いデザインといえども、飲食物の盛りつけは著作権法10条に限定列挙された著作物にはあたらない。ただし、丼が芸術性を有する美術品であればその写真を公開することに疑義が生じる余地はある(が、そんなラーメン丼に出会ったことは誰もないでしょう(^^)
・プライバシー性を有するものではないので、飲食物は肖像権の対象でもない。
以上から、所有権取得後の飲食物の写真は、撮影自由でインターネットでも公開し放題であるといえるでしょう。
なお、店内で写真撮影を禁止することは、その室内空間の管理行為としては有効でしょうが、相手にはあらかじめ宣言しておく必要があります。つまり、「写真撮影終了後に、やめてくれ、なんちっても意味無いけんね」ということです。
長文解読、お疲れ様m(_ _)m
上野駅周辺の商店街や台東区の反対を押し切って、1991年東北・上越新幹線に上野・東京間の高架が完成し、新幹線の東京駅乗り入れが開始されました。
なぜ、このような反対運動が起こったかというと、もちろん上野駅での乗換客減少は、地域の活力を低下させるのではないか、という懸念があったからに他なりません。たとえて言うなら、門前町商店街がお寺の移転に反対するようなものです。
しかし、本当に乗り換え客の減少が地域の活力低下につながるものなのでしょうか?もっちろん、そんなこたぁ、決してありませんっ(断言)。なぜなら、乗換客がわざわざ乗換駅でおりて商店街をぶらつきますか?自分が、出張なり、帰省なり、旅行なりする場合を考えればあきらかです。つまり、乗換駅であろうがなかろうが、行ってみたくなるようなものなり場所なりがあれば駅を降りるし、そうでなければ通過するのみです。
門前町の商店街は、通常、自助努力をしません。だから面白くないし、そんな商店街に行ってみたくなるわけはありません。お寺が移転したら、ひょっとしたら商店街が商店街の商店主の皆さんが努力を重ね、とても面白く、行ってみたくなるようなところに変身するかもしれません。消費者としては、そういう競争こそ望ましいのです。
さて、神田駅のホームから新幹線の高架橋の構造をとくと眺めると、そこに面白いものがあることに気づきます。それは、高架橋の各鉄骨柱の上部が、新幹線の軌道レベルよりかなり上まで突出していることです。これは一体なんなのでしょうか?
その答えは、驚くべき計画にあります。って、既に新聞などでも報道されたことですがね。
つまり、この突出した鉄骨柱は、さらに上部に継ぎ足してもう一層上に軌道敷を建設することが出来るように準備されたものなのです。で、そのもう一層の軌道は何になるかというと、宇都宮線・高崎線・常磐線と東海道線の連絡線路になるというものなのです(参考サイト)。
これは、同線の通勤利用者にとってばかりではなく、JR利用者の多くに有効なことではないでしょうか。ところが、現状ではなかなか実現に向けた動きになっていません。
その第1の理由は、費用負担です。民営化されたJR東としては、増収につながらない投資は当然のことに順位が低いわけで、一時は、利用者か利用者の住む自治体の負担が求められておりました。でも、最終的にはJR東がすべて負担するとの英断を下し、解決しました。
第2の理由は、新幹線の東京乗り入れと同じで、上野周辺の商店街、神田駅周辺の商店街の反対があるということらしい。しかも、新幹線高架建設時に、JR(当時は新幹線鉄道保有機構)が地元に対し、そのようなことはしないという約束をした経緯があり、その約束をたてにして、強い反対となっているとのこと。もしそうなら、結局、商店街や地元自治体のエゴも甚だしいと嘆くべきであります。
そんな地域エゴばかり主張してないで、はやくつくってくれー
そもそも、我々が「えいだん」と呼び習わしてきた東京の地下鉄は、戦前は(←太平洋戦争以前、つまり1941年以前という事ね。と言っとかないと今のワカイモンは知らんからなあ)民営だったのです。それが戦時経済統制体制の元で、東京近郊の私鉄の大連合化と同時に進められたものでした。
私鉄の方は、経営基盤と「ゴウトウ慶太」と呼ばれた五島慶太の政治力で、東急に吸収され、いわゆる大東急となったのですが、地下鉄の方は事業基盤の確保と山手線内のセキュリティ確保のため、公営企業である「帝都高速度交通営団」として特殊法人化されたのでした。
それが、営団創設から還暦の年月を過ぎて、また再び民営化されることになり、手始めに特殊会社である「東京地下鉄株式会社」となったわけです。
民営化の意味は、たぶん国鉄のJR化と同じだと思います。
が、国鉄のように公共企業体らしく政治路線への過分な投資があったわけではなく、また、戦後の復員兵士の大量採用を余儀なくされたための過大な年金負担があったわけでもないのです。多角経営の可能性拡大という意味はあるにしても、民営化する必然性は乏しかったように思います。
ま、尊大な駅員がいたということはあるのですがね。
ところで、大東急が戦後再び解体されたときに、なぜか旧小田急子会社の帝都電鉄井の頭線は小田急に戻されることなく、京王電鉄に配分されたのですが、それはまた京王電鉄の経営基盤確保のためだったようです。当時の京王電鉄の名称も、京王帝都電鉄でした(1998年改名)。
イマドキのワカモノはたぶん知らぬ言葉と思う故、特に取り上げてその意味を伝授いたそうではないか。
・クラゲを略図で書くと、丸い輪っかの下に、何本かの脚がふにゃふにゃと生えた
図になろう。↓こんな感じだな。
・逆さになると↑こんな感じ(鼠を上に置いてみたまえ)。
これは、つまり、地図で使われる温泉記号でござるな。
・したがって、「逆さクラゲ」は温泉のことじゃが、しかし、それだけではない。
何事も裏があるのじゃ。
・その裏とは、温泉記号(とりわけの)が付いた旅館を指すということじゃ。
・而して、その意味としては内風呂付きの連れ込み宿ということであ~る。
すなわち、今でいうところのラブホだかブティックホテルのことナリ~。
・なお、電網で調べると、サカサクラゲというクラゲもいるらしいので注意されたい。
8.ラーメンコンプレックスプロデュースの雄VISUAL JAPANとは?
VISUAL JAPAN(以下VJ)は、もともと商業コンサルタントですが、企画からリーシングまで一貫して行うことができる数少ない商業コンサルタントといえるでしょう。
特に、飲食系については、立川での成功を皮切りに、中華系のレストランコンプレックスをあちこちで展開しています。
立川以外の中華系飲食系施設を、VJのHPから引用しますと
千里中華街
泉ヶ丘ラーメン劇場
ラーメン国技場仙台場所
武蔵浦和ラーメンアカデミー
池袋ひかり町ラーメン名作座
小田原城下らーめん宿場町
このリストを見て、「あれ、おかしいな、なんだか少ないのでは?」と思ったそこのあなた!あなたは、立派なラーメンコンプレックシスト(←立派な造語(^^ゞ)です。
どうです、このリストは意図的か否かはともかくとして、関係した施設の全部ではないのです。この他に、巷間の噂でVJプロデュースの施設といわれているものとしては、次のものがあります。
千葉ワンズモールラーメン劇場
ラーメン国技館東京場所
姫路城下らーめん宿場町
全国ご当地店センバツラーメン甲子園(横浜)
熊本ラーメン城下町
ラーメンコンプレックスは一見おもしろそうではありますが、「新横浜ラーメン博物館」のように館としての経営は損覚悟でほとんど趣味のように気合いとお金を入れていく、というようなことをしない限り、多くの苦悩が生じます。
例えば、リーシングの際に新たに出店してくれるご当地ラーメンなどの発掘がなかなかできない、コンプレックスとしての誘因効果はいずれ飽きがきて退店が生じやすい、などなどなど。
事実、上記のラーメンコンプレックスの入、退店者をチェックしてみると、かなり似通っているところがあります。口さがない連中に言わせると「同じ店の使い回し」と評されるゆえんでもあります。
しかし、放っておくと個店どころか施設全体が倒れるというリスクを抱えているのです。都心で、しかも名店を誘致したことで勇名をはせ、多くの出資者を集めた「麺喰王国」も、ほんの1年3か月で閉店の憂き目にあったほどですし、古くはサッポロ「ラーメン村」、渋谷「ラーメン道場」なども消え去る運命でした。
なので、まだ開店後そう長く経っているわけではない上記の施設が、「使い回し」をしているとはいえ存続していることは商業施設の経営としては評価すべきでありましょう。
なお、こうしたラーメンコンプレックスのプロデュースを多数手がけているコンサルタントとしては、他にはナンジャタウンの池袋餃子スタジアムで成功を納めたナムコがあります。立派なラーメンコンプレックシストのあなたは、ぜひこちらもチェックしてください。